「関西人」は面白くあるべきか?

俺は、兵庫県西宮市出身。生まれてから早稲田大学に入学するまで関西で育った。早稲田に入学してからはずっと東京に住んでいる。東京に来ると、今まで当たり前のように使っていた関西弁が当たり前のものではなくて珍しがられる。それはたぶん、東京には関西人が関東人に比べて少ないだけなのだと思う。

おおくの人たちは「関西人は面白い」というイメージを持っていると思うのだけれど、それは幻想に過ぎないと思っている。

関西から東京へ出てきた理由

高校時代から東京への憧れは強くなった。雑誌、ChokiChokiを通して東京のストリートカルチャーを知ることになり、ますます東京への想いは加速した。でも、それだけが東京へ行くことを決意させたわけではない。関西の「面白ければなんでもありの感覚」や「内輪文化」が好ましくなかったからだ。

というのも、自分はあまり面白くない。「面白さ」より「正義」を求めるタイプだ。「面白ければなんでも良い」という感覚はあんまりない。そして、高校時代は関西人なのになんで自分は面白くないんだろうと疑問を持っていた。でも、そんな自分を受け入れなければならず、東京であれば面白くなくたって大丈夫だろうと思ったのだった。

簡潔にまとめると「関西人なのに面白くないから、関西にいても勝負には勝てない」と思ったから東京に出てきたのだ。

関西人への捉え方を変えるべきでは?

日本の中で「関西人」は特殊な地方人だと捉えられていると思う。けれど、関西人もみんながみんな面白いわけじゃない。「関西人は面白い」というのは、幻想だ。その幻想が社会に根付き過ぎてしまっているのだと思う。

でも、幻想は怖くて、その幻想によって優劣をつけてしまうことがあるのだ。人間が抱く幻想は怖い。1人の幻想が、次々に多くの人を同じ幻想に巻き込んで、それが社会の幻想となる。

関西人が面白いというのは、幻想かもしれない。僕は幻想だと思っている。なぜなら、周りに面白い関西人がそんなにいないからっていう理由もある。はははは。

関西人が面白いというのは、幻想に応えるための「関西人の所作」なのだと思う。おもてなしだ。確かに、関西は笑いの文化は根付いている。ただ文化が根付いていることと、面白い人が多いことはまた違う。その文化によって辛い思いをする人がいるなら、なおさらだ。

最後に

関西人も幻想を自らの力にして、他の地域の人を見る節がある。人の個性は「地域」だけで考えられるわけはない。その人の個性の一部に地域があるだけだ。目の前の人がどんな地域に住んでいようと、地域バイアスは一旦外したほうがいいんじゃないか?そんなことを思うのです。

今日も読んでくれて有難うございます