コミュニティーは「竜吟虎嘯」であるべきじゃないか?

どうも、たっけ(@takeee814)です。

昨日は、Waseisalon×サ式のイベントでした。20sのWaseisalonとして話しましたね。イベントに来てくださった方は、多少なりとも考えていることを理解してもらった思います。だからこそ、この記事では、本当に自分起点の意見を1つだけ伝えさせて下さい。

自分がひっかかるのは「わかりやすさ」についてだ。

コミュニティー(仮)について

りょうぎん-こしょう【竜吟虎嘯】
同じ考えや心をもった者は、相手の言動に気持ちが通じ合い、互いに相応じ合うということ。また、人の歌声や笛・琴の音などが、あたかも竜やとらのさけび声が天空にとどろき渡るように響くことをいう。▽「吟」は鳴き声をあげる、「嘯」はほえること。竜が声をあげれば雲がわき起こり、とらがうなれば風が生ずるといわれる。「竜りょうぎんじ虎とらうそぶく」と訓読する。「竜」は「りゅう」とも読む。

参考https://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E7%AB%9C%E5%90%9F%E8%99%8E%E5%98%AF/m0u/

コミュニティーはもっともっと議論されるべきだ。なんでもかんでもコミュニティー、コミュニティーと言い過ぎている節がある。人は名付けなければ、理解しようとしない。空想の概念で繋がりにくいのだ。しかし、概念だけでなんとなく強くて深いつながりを持つ人同士じゃないといい場にはならない。これは皮肉だ。わかりやすいものを提供する人の元には、わかりやすさを求める人がたくさん集まってくる。そうなると上質な場は生まれてこないと思う。なんだかよくわからないけど、居心地がいいのが大切だ。
人はすぐに「目的や言語化」を求める。「なぜ?」という言葉は自分の好奇心を満たすための言葉だ。そんなに簡単に理解できるものが面白いだろうか?わかりやすいというのは非常に危険なのだ。具体と抽象をいったりきたりしないと、やはり「自分の頭で考える」人間にはなれない。個人の時代と言われる世の中にもかかわらず、人に与えてもらうわかりやすいものばかりで脳が埋め込まれてしまっては、自律しにくいだろう。
ニューロンだってドーパミンに起因して自律分散している。俺たちの感情や行動が自律分散するためには、もっとハードな刺激が必要だ。
まとめると、わかりやすさ基軸の安心安全の場はコミュニティーには相応しくないのではないか?と思う。わかりやすいものばかりに飛びついてしまう人に、オススメの本がある。それは「具体と抽象」だ。

最後に

夜にでも、その中にコミュニティーとトークンエコノミーの概念をVoicyで配信するのでしばしお待ちください。改めましてだけれども、昨日は来てくださってありがとうございます。
大阪にいる方は、以下のイベントに登壇させてもらうのでぜひ来てください。昨日もコミュニティーに紐付け、トークンやブロックチェーンの話をしたかったけれども、そのような雰囲気ではなかったのでやめました。笑

7月28日(土)トークンエコノミー meet up ~信用評価経済時代の独自通貨と経済圏~開催決定!ALIS,タイムチケット,VALUがbillage OSAKAに登壇!