「どう評価されたいか」の消滅

1年前までは「自分が評価されたい像」が明確に合って、生きていた。しかし、最近はそうではなくなってきた。では、なぜだろうか?その変化を短く考察したい。

自分に自信がなかったのか

「自分が評価されたい像」を演じなければ、人の役に立てないと考えていたのかもしれない。つまり、ありのままの自分には何も価値がないと考えていたのだろう。「ハッタリ力」は重要だと思うが、ハッタリを続けるのは大変。というか、途中で疲れてしまう。

自分が評価されたい像を演じ続けることで「ハッタリ力」は生まれる。自信がないから、大きく見せる。ただ、それを人に見透かされた時は非常に恥ずかしい。

それでは、最近どのような変化があったのだろうか。

ありのままの自分でいられる理由

大学を卒業し、大人になってから知り合い仲良くなった友人たちとも付き合いが長くなってきた。例えば、WaseiSalonのメンバー。なんだかんだ1年くらいコミュニケーションを取る中だ。さらに、あたらしい経済のメンバー。

時間の濃さは違えど、時間を共に過ごしてきた。そしたら、自分の良いところも悪いところもしっかりと出る。できれば、良いところだけ見せたいけど、それも疲れてしまう。自分が疲れるのはもったいない。

かといって、他の人を疲れさせてはいけない。が、もうありのままの自分が見えてしまってる時期だ。だから、隠す必要なく、そのままの自分でいようと思えている。

つまり、自然体の自分を受け入れてくれる土壌が整い始めたってことだ。そのおかげで「どう評価されたいか」という欲がなくなった。だから、あとはどんどん楽しく仕掛けていくだけだ。

最後に

あとの人生は1本道な気がしている。回り道があまり見えない。急がば回れという言葉があるが、果たして本当にそうなのか。それは、自分の人生が証明してくれよう。

今日の記事も何かみなさんの参考になれば幸いです。最後まで読んでくれてありがとうございます。