「昭和への強烈な憧れ」と「平成生まれへの提案」

年齢が近しい歳上の人と挨拶すると「昭和63年生まれで、ギリ昭です」なんていう人が多い。ちなみに、ギリ昭とはギリギリ昭和生まれということだ。

少し平成生まれの僕に対して遜ったつもりで挨拶しているのかもしれないが、正直「羨ましさ」しか感じていない。なぜなら、僕が昭和時代への憧れが人一倍強いのからだと思う。今日は「なぜ僕が昭和を良いと思うのか」を書いていく。そして、最後に平成生まれへの生き方の提案をさせてもらう。

昭和への強い憧れと平成生まれへの提案

今日、昭和への憧れをツイートをした。

さて、少し昭和時代を分析しようと思う。昭和を語る上で、外せないのが第二次世界大戦。そして、日本は紛れもなく敗戦国。

つまり、世界から「負けた国」として認識されざるを得ない。そのような時代に生まれた、おじいちゃんやおばあちゃんが「こん畜生」という精神を抱かずに生きる方が難しいと思う。

負けた」という事実は非常に大きい。周りに舐められないためにも「自信を持ち」、そして「ハングリー精神で泥臭く」生きてきたであろう大多数の昭和世代の人たちは、非常にかっこよい。

そのハングリー精神のおかげもあり、高度経済成長を経て1980年代後半から1990年代前半までのバブル時代を迎える。そこで、「豊かさ」を覚えてしまったのだ。そこから平成の時代に突入する。

確かに「豊か」であることは重要だ。しかし、「豊かさ」は時に「必死さ」を減らす。つまり、ハングリーさを失わせてしまうのだ。なぜなら、もう得たいものがないから。そのような時代背景を経て、今の日本が存在している。時価総額の1位から30位の入れ替わりの要因の一つも「豊かさ」だとは思う。

ただ、この文章では時代を読み解きたいわけではなく、「昭和世代が大事にしてきたことを平成生まれの僕らが令和で生かそうよ」という提案だ。

つまり「泥臭さと誠実さ」の融合だ。平成生まれの人は「誠実さ」において、昭和世代に勝っていると思う。

なぜなら平成生まれの人たちは、良くも悪くも「自分に正直だから」だ。「自分に正直」という意味で「誠実」という言葉を使っている。それに比べて、昭和の人たちは泥臭いが、自分を押し殺す癖がある。それは、良い場面もあれば、悪い場面もある。

しかし、これから重要なのは「自分がこの社会の中でどうありたいか」だ。どうありたいかを考えるためには、自分に正直でなければならない。さらに、夢を叶えるためには泥臭くなくてはならない。

このような結論に至っているので、昭和型の考え方や生き方を大切にしながら、平成生まれは「泥臭さと誠実さ」で社会を生き抜くべきなのだと思っている次第である。

最後に

平成生まれが「誠実である」というのは事実だと思う。その誠実さが社会に適するかどうかは今までは微妙であったが、今後はテクノロジーを活用することで、社会不適合という言葉は消滅すると思っている。自分適合をすれば、テクノロジーがなんとかしてくれる。

だから、常に自分に正直で、他者を思いやり人情を大切にできる人間であるべきなのだ。そう、このようなことを書いていて、自分が一番そうあらねばと思っている。

最後まで読んでくださってありがとうございます。