Twitterのフォロワー数=信用なのかどうか問題

どうも、たっけ(@takeee814)です。
Twitter社が偽フォロワーを減らす施策。

このような形で動いたのですが、数が減ったり、増えたりするとその「数」に注目が集まります。それはいま僕が属している暗号通貨の業界でも同じことが言えます。暗号通貨の値段が上がった、下がったということが言われ続けていますが、これも似たようなところです。その上がり下がりが、世の中をよくしているのでしょうか?簡単に稼げてしまうと、簡単に手放します。これは自明の理だと思っています。楽なことを選べば失敗をしない、だから学べないんです。

フォロワー数市場主義は違うんじゃないの

もちろん数は大いに越したことはないが、数だけで人間性までも決めきってしまうのは圧倒的に違うだろう。年収が高いとか低いとかどっちでもいいとか言っている人の多くもなぜかフォロワー数で人を判断する。それって、ただ年収からフォロワー数に基準がウツっただけじゃないのか?自分の中の基準を持たなければ、絶対に外の世界に揺さぶられてしまうだろう。
そして、数には深さがない。人と人との関係は数なんかでは言い表せない。きっても切れない強い結びつきがあると思う。それを1人のフォロワー数ごときで判断するのはなんだかなーって悲しくなる。なんか人間をロボットのように見ていく世界は悲しい。それは、ドラマ/ブラックミラー「1500万メリット」の世界にようで悲しい。人間を人間の感情抜きに数字だけで見るようになってしまうことほど、薄れた世界はいらないだろう。びしょびしょでズブズブの人間関係を創り続けていきたいに決まっているじゃないか….
人間を単なる「数」で見ている人とは絶対に仲良くなれないし、わかりあえないと思っている。人間は互いに「深さ」で考えないといけない。この人とはどこまで仲良くなれるのだろうって。仲良くなったらどうなるかわからなさすぎるというのがいい。人生おかしくなっちゃうかもしれない、そんな出会いが最高じゃないか。まあまあ、最後に何が言いたかったかというと、マジで人間なめんな。数じゃねえ。「数」としか見てない人とは絶対にわかりあえないだろうなあということです。