「書く」より「会え」よ

どうも、たっけ(@takeee814)です。

毎日文章を書き始めてから、どれくらいの日数が経っただろうか?1500日くらいかな?自分にとって文章を書くということは、毎朝、iPhoneのアラームで起きることくらい日常茶飯事なことだ。御察しの通り、起きることは義務だ。起きたくなくても、起きてしまう。文章だって、書きたくないけど、書いてしまう。自分にとって書くということはそんなことなんだ。

でも、「会う」方が楽だ。人と会うだけで、自分の全てを理解されてしまう。「喋り方、声、佇まい、しゃべる内容」その全てだ。好きな女性とデートをしていて、自分の魅力的な部分を見せることが書くことだとしたら、会うということはフルチンで彼女とデートすることだ。自分のちんこが小さいこと、腹が少し出ていること、腹毛が汚いこと、その全てがバレてしまう。

それくらい自分を知ってもらうという段階において「書く」と「会う」は違うということだ。会うことによって、圧倒的に嫌われるかもしれないし、好かれるかもしれない。そのリスクはとてつもなく楽しい。イチかバチかのギャンブルが好きな自分にとって、人と会うことはそれくらいリスキーなことだと思っている。

だからこそ、逃げ道の多い「書く」という表現を常日頃から繰り返し行っている。書くということで自分の表面を知ってもらい続けたいからだ。ただ、面白いのがたまに圧倒的に内面が出る時があるのである。それは、社会がゆがんで見えている時に顔を出してくる。あれ、このままじゃやばくないか?と感じるときに、文章で暴言を吐く。

まあ俺がこの記事で言いたいのは、自分のことを知って欲しいんだったら「書く」より「会う」ほうがいいぞということだ。コツコツ書くのも大事だけど、それよりも「会う」ことの方が格段に情報量が多いんだから。自分にとって会うというのは、「酒を飲む」ということなのかもしれないが。笑 さらにつまるところ「アペロしよ」ということなんだと思う。

参考記事:クソほどお酒を飲むということ
参考記事:「アペロしよう」という美しさ

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早稲田の留年生。 #バーテンダー #ブロガー シナリオ 脚本なども書いてます。写真も撮ってます。映画作りたいです。連絡はtaketake.12326@gmail.comへ