幡ヶ谷に抱いている安心感

幡ヶ谷に引っ越して2週間ほどが経っただろうか?渋谷へはバスで20分、歩いても35分くらい。新宿までは歩いて20分。都内の中でも都心と言っても過言ではないだろう。

実は、幡ヶ谷や近くの代々木上原の良さは、年末にYoutubeで鳥井さんと話している。

参考記事:2018年のキーワードはコミュニティ?2018年振り返り対談「株式会社Wasei 代表取締役 鳥井弘文さん」

幡ヶ谷の由来

「幡ヶ谷」の名前が古文書に初めて現れたのは戦国時代後北条氏が関東一円を掌握した時期の小田原分限帳であるという。その後、後北条氏が滅びて関東八カ国が徳川家康の領国となり、つづいて江戸幕府が開かれるに当たり幡ヶ谷はその大部分が幕府の直轄地となって、そのまま明治を迎えた。

旧版地図等によると、甲州街道沿いには古くから集落が形成されていた。江戸時代末期には幡ヶ谷は豊島郡に属し、豊島郡幡ヶ谷村と称していたが、1878年(明治11年)に豊島郡の一部をもって南豊島郡が設立されるに及んで南豊島郡幡ヶ谷村となった。そして、その頃から幡ヶ谷村は隣の代々木村と連合して役場を設けるなど関係を深めていたが、1888年(明治21年)に市制町村制が公布、施行されるに及んで、翌1889年(明治22年)に正式に合併して代々幡村となり、1915年大正4年)に町制を施行して代々幡町となった。1914年頃の幡ヶ谷地域内の京王線開通ならびに1923年(大正12年)の関東大震災等を契機に宅地化が進んだ。町制施行以前に南豊島郡はすでに東多摩郡と合併して豊多摩郡となっていたので、幡ヶ谷は東京府豊多摩郡代々幡町大字幡ヶ谷と呼ばれ、地域内に下町、幡ヶ谷本村、原、中幡ヶ谷、笹塚の5つの小字を有した。

昭和初年までは人通りも少ない農業地帯であり、通行人が狸に化かされた怪談話[6]が伝わるほど淋しい地域だった。20世紀前半、付近で工場立地が進み、「幡ヶ谷工業地帯」とも呼ばれた[7]。現在は新宿に近い利便性からかつての農村風景は遠く失われ、繁栄する住宅地・商業地となってマンションが立ち並び、店舗が密集している。

2017年の人口

丁目世帯数人口
幡ヶ谷一丁目2,359世帯3,552人
幡ヶ谷二丁目4,012世帯6,327人
幡ヶ谷三丁目3,680世帯6,289人
10,051世帯16,168人

安心感の正体

幡ヶ谷の安心感の正体は「雑多感」と「個人店」の多さにある。雑多感というのは、駅周りが完全に甲州街道沿いであって、車の出入りが深夜日中問わず多い。さらに理由を付け加えると、「ダイエー」「LIFE」「成城石井」「まいばすけっと」などスーパーマーケット屋のターゲット別の乱立状態。
そのようにインターネット上のように綺麗にターゲティングされていないことが、とても日常感を溢れ出してくれる。

個人店の多さというのは、チェーン店が少ないともいう。駅前の蕎麦屋「大村庵」「ステーキてっぺい」24時間営業の「小町食堂」など普段目にしない良い店がある。まだまだ2週間なので、散策はできていないが面白い店が多いのは明らかだ。ステーキてっぺいは、写真を撮ることも禁止されている。あ言い忘れたのだが、タイ料理や「スパイスMARKET」も最高。

ちなみに、代々木上原は幡ヶ谷から徒歩10分。代々木上原にも良い店がいっぱいだ。今まで行った店で気に入っているのは、「カンド クラブ バー 」「ジャンボ」「蕎麦屋 山都」「AELU」「jicca」などが良い。

他にもまだまだいいお店があると思うのだけれど、時間が足りていない。この記事を読んだ人でオススメの店を知っている人がいれば是非とも伝えてください。

今日(2月11日)は幡ヶ谷飲み

今日は、幡ヶ谷に住んでいる友達と幡ヶ谷飲み。ミヤザキ商店という焼き鳥屋に行くようだ。誰か来たい人がいれば、連絡をください。人によっては招待しますよ。