どうも、たっけ(@takeee814)です。
みんな可愛い女性って大好きですか?
俺は大好きです。
ブサイクな人の方がいいとか言うのは、どっかに自分に対しての自信のなさの表れだったりというよくない気持ちが混ざっていると、ここでは見立てます。
最近だったらミス青学に出ている井口さんがもうダントツに人気すぎてやばい…
今日も暑いですねー😵💦
今週も1週間、夏バテしないように体調には気をつけてください😊✨
わたしは暑すぎてカフェで涼んでいましたが、沢山の方からの応援の言葉や投票したよ!という言葉で元気チャージされました😆✌🏻ありがとうございます!
🌻https://t.co/QJvuCpYfRs pic.twitter.com/MowAHIMzE9— 井口綾子 青山ミスNo.4 (@ayako_17miss4) 2017年7月10日
そんな彼女たちがなぜ正義として許されるのか考えていきましょう。
まず可愛い女の子をみれただけで、俺たちの努力の源になるということです。
触れたというのは、SNSでの画像、さらにいうと実際に会えた日にはたまらなく幸せな1日になりますね。
俺たち男は実際に可愛い子をみると、「あのこ、ばり可愛くない?」と友達にすぐ伝えて、「えっ、まじで綺麗なあー」と共感を求めます。
もし歩いている際に自分しか見れなかったという状況だったら、歩く速度を速めて顔を見に行くくらい可愛い女の子には執着してしまいます。笑
女性のみなさんここでひいて文章読むのやめるとかはなしですよw
リアルの場で可愛い人に出会えるのは、なかなか難しい。世の中に、可愛い人はそうたくさんはいないですもんね。
だからこそ、芸能人の人とかにリアルの場で遭遇。ましてや、一緒に飲む機会なんて創れたもんにゃ、たまらなく奇跡的な時間になるんですよね。
でも、それが芸能人という商売でもあるんですよね。
希少価値がものすっごく高くなってる。
それは僕たちの穿ったバイアスのせいかもしれませんが。
ただインターネットが発達してきたことで、可愛いの価値はどんどん上がって行っているように思えます。
それは以前ではダントツに可愛い人たちって、テレビでしか見れなかったのですが、Twitter、Instagram、Webメディアなどを通して気軽に見れるようになっていますよね。
可愛いとは少し外れますが、インターネット的な発想で、ユーザー視点を大事にして雑誌のVERYなんかは作られていて面白いですよね。
たとえば、インターネット的で可愛いが正義となった最たる例は、彼女とデートなう。に使っていいよ
のハッシュタグ。
彼女とデートなう。
に使っていいよ😆笑
ちなみにこの写真は高校からバスで帰ってる時です。卒業式の日かな〜🤔
友達から送られてきた写真見てたら、これを見つけました🙌
遅れて流行りに乗ってしまいました。笑 pic.twitter.com/xgA3c3CQuY— 橋本環奈 (@H_KANNA_0203) 2017年6月5日
もうこれは橋本環奈さんとデートをしているかのように見立てられるなんて幸せすぎますよね。
ただ俺は、ちょっと可愛いを利用しやがって遊びすぎやぞこらっと、橋本環奈の頭をコツッとちょっと痛めにたたきたくなっていましたが。笑
どうしても可愛い子をいじめたくなるんでね。笑
最後にまとめさせていただくと、可愛い女性をシェアする場がテレビからインターネットにまで増えてきたことによって俺たちは目に増える機会が増えたことで可愛いが正義となるきっかけも増えたんですよねー。
可愛い子をみることによって、男は幸せ、努力の源になっている。
だからこそ、可愛いは正義なのではないでしょうか?
可愛い人がいなくなったら、社長さんたちは頑張れなくなって、いくつかの企業とか潰れちゃうレベルかもしれないですしね。
それだけ可愛い女性は大切な存在なんですよね。
みなさんはどうお考えでしょうか?
わたし彼氏に撮られた♡風自撮りするのめっちゃ好きなんやけど、 pic.twitter.com/TVBN2yws2c
— りさて (@risateen) 2017年6月12日
アイキャッチ画像は神戸の可愛い女の子、りさてぃーんです。
自撮りがめちゃくちゃうまいし、普通に可愛いです。。。