どうも、たっけ(@takeee814)です。
今日は、朝の8時過ぎに松屋で朝食を食べました。松屋の牛めし。
あーやっぱりうまいんですよねこれ。そのうまさを忘れたくないって思いながら、電車に乗りました。
朝から松屋のおばあちゃんが優しすぎたから俺は泣けた。
ほんと美味かったあ。飯のうまさと人のあったかさでそのお店は最高のものになる。 pic.twitter.com/HJ6gH3Kqm8— たっけ💐🤗🔥 (@takeee814) 2018年3月7日
*ちなみに松屋はご飯を小盛にできるので糖質制限中の人も心配ご無用です。
高級なものがいいものなのか?
もちろん自分としても、高級寿司を何も考えず食べ続けられたら幸せだろうなと思いますし、そのようなライフスタイルも取り入れたいとも思っています。
つまるところ、何不自由なく選択できるお金を持っているということですよね。
ただお金を払えば手に入れられるものの価値というのが実際としては下がってきているのは事実です。
人はどんどん、お金との等価交換できないものに消費の流れは向かっていくでしょう。自分じゃないと所有できないもの。たとえば、身の回りの人への応援権をお金を使うことで、「応援しているからね」などなどコミュニケーション手段として伝えることができます。
あたたかい体験
松屋のおばあちゃんの「おいしかったかい?ご飯少なめって言ってたけど、これで大丈夫だったかな?」という発言。
朝から僕はとても気持ちよくなった。気持ち良い朝を迎えるというのもまた一つお金を出したところで手に入る発言ではない。
人の誠意ある発言はお金を出しても手に入れられるものじゃない。
そして、松屋っていいなあと思える大人であり続けたい。中途半端なプライドを持って、生きていくのだけは御免だ。
最後に
なんか内容はごちゃごちゃになってしまいましたが、松屋を好きな気持ちを忘れると大切な気持ちを忘れる気持ちと同様なんじゃないかな?って思っています。
懐深い大人にならないといかんなーと思ってます。