「信じるものがない」ということ

「何が正しくて何が正しくないかわからない」そんな状況に陥りやすい世の中だなあと思う。縄文・弥生時代は特に身の回りの人だけを信じていれば良かった。

静岡県の登呂遺跡にこないだ行ったのだけれど、非常に穏やかな場所だった。登呂遺跡の博物館でたくさん質問をして、静岡の地形の変化や邪馬台国と登呂遺跡の違いなど聞いた。そこで感じたのは、信じるものが少ないことから生まれる幸福感だ。かかわる人や情報が少ないことによって、何が正しいかを信じ込みやすいので幸せを感じやすいのだと思う。

子供の頃、「どれにしようかな天の神様の言うとうり」って呪文を唱えて、物事を決めていた。大人になったいま、呪文を唱えて選択肢を決める人はなかなかいない。それは、決める問題が難しくなって来ているからだろう。本当に大事な問題以外は、呪文で決めたら楽しいのかもしれない。

こんな感じで、たくさん悩んでいたのだけど、寝たら回復した。良かった。