ネット上で「問い」を与えてくれる人はたくさんいます。良い問いを与えてくれる人の存在は、非常に重要です。ただその「問い」の処理方法に課題が大きく潜んでいるのではないか、と感じています。
ちょっとその課題を深ぼっていきましょう。
何のための問いなのか?
「人生で何をするべきなのか?」
常に悩みます。僕たちは生きているので、毎秒毎分毎時間、何か行動をしなければなりません。「あれは正しいのか、これは正しいのか?」常に悩むことができます。
「問い」を与えてくれる人はより良い人生を自分に歩ませてくれる、人生のメンターに近いと思います。しかし、そのメンターの「問い」を聞くことに満足してはいけないのです。
最初の提案に戻すと「何のための問いなのか」を考え直してみてください。
「いい問いだ」と思うことが大切なのではなく、その「問い」によってあなたがより良い方向に変化せねばならないのです。同じ思想や同じ問いを持っているから仲良くなるのも良いです。だが、自分らしくより良い人生を歩むためには問いを自分で料理することを覚えなければなりません。
「問いを与える人になりたい」と考える人も多いと思います。ただ、良い問いを生み出すためには「誰かの問いに基づいた行動数」が絶対になると考えます。
改めて、何のための問いなのか考えてみてください。もし「問い」の意図がわからなければ、直接聞いてみてはどうでしょうか。
最後に
何か参考になれば嬉しいです。今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。